私たちの日常は、常に選択の連続ですね。
今日の朝食は、ご飯にしようかパンにしようか?
帰りはバスか電車かどっちにしようかな~?
些細な事から人生に関わる選択まで、二者選択もあれば多岐に渡る選択肢もあります。
あなたがどちらか選ぶ場合、何を基準に
しますか?
ひらめきや直感で選ぶのなら、特に問題はない
でしょう!
しかし、誰もが常に感を働かせられるわけでは
ありません。
- 得か損か
- 価値があるのか無いのか
- 将来性があるのか
- 結果に満足出来るのはどっちだ
「善」か「悪」かの基準で決める方は、おそらくいないでしょう。
しかし、この基準がとても重要で、
何を選択したのかによって背負う『因果』が異なってきます。
『因果』と聞くと一般人には関係ない事のように思いますが、
誰もが『因果』を背負っています。
『因果』
悪行 『悪因』と善行 『善因』があります。
- 目先の慾に囚われると正しき選択が出来ない
- 善悪を見極める
- 多数の意見に惑わされるな
- 思い・言葉・行いの選び方に氣を
つける - 選択の結果が『因果』となって自分に返って来る
正しい選択
善の道を選ぶのか?悪の道を選ぶのか?
これは、闘いなのです。何を選択するか?という。
個々が思考選択する最後の大きな闘いなのです。
目先の慾に囚われると正しき選択が出来ず、苦しみを受ける因果となります。
善の道を選ぶのか?悪の道を選ぶのか?最後は地球人が決めなければ
なりません。
これは地球人が独り立ちするための大きな試練なのです。
現在の集合意識に合わせて行動するのであれば、悪しき流れに飲み込まれて
ゆきます。
神人靈媒日記
【善の道】
- 御魂が主
- 精神
- 生きるための欲
- 静寂
- 量より質
- 譲り合う
- 助け合う
- 自愛と他愛
- 調和
- 無害
- 分け合う
- 保護
- 慈しむ
- 認め合う
- 他を喜ばせる
【悪の道】
- 肉体が主
- 物質
- 我慾
- 刺激
- 質より量
- 競争
- 戦う
- 自愛のみ
- 不調和
- 有害
- 奪い合う
- 壊す
- 汚す
- 弱肉強食
- 苦しめる
【善の道】
【悪の道】
- 御魂が主
- 精神
- 生きるための欲
- 静寂
- 量より質
- 肉体が主
- 物質
- 我慾
- 刺激
- 質より量
- 譲り合う
- 助け合う
- 自愛と他愛
- 調和
- 無害
- 競争
- 戦う
- 自愛のみ
- 不調和
- 有害
- 分け合う
- 保護
- 慈しむ
- 認め合う
- 他を喜ばせる
- 奪い合う
- 壊す
- 汚す
- 弱肉強食
- 苦しめる
【善の道】とは、人に対してだけでは
ありません。
生き物や自然環境に対する配慮も必要でしょう。
善に生きるか悪に生きるか、おのおの腹に決めよ。
善とは、草木、獣、人、皆々救う愛に生きる道ぞ。
悪とは我さえ良ければ良いという選民意識に生きる道ぞ。
生き物に対しては、
- 山を開拓したり、必要以上に森林を伐採して生き物の住処や食べ物を奪わない
- 生き物を殺さない
生き物を殺さないということでもあります。
【悪の道】を選択するならば、
永遠に『支配者と被支配者』の世界に居続けなければなりません。
悪は、『群集心理』を利用し、悪を善とすり替え誘導することも得意です。
特に日本人は同調意識が強いので、利用しやすいとも言えるでしょう。
大多数の人が支持していることすべてが、正しいとは限りません。
溢れる情報の中には『相手の思惑』が含まれている場合があるため、
鵜呑みにせず、真偽を確かめることが必要です。
悪が先導している場合もあり、きちんと見極めなければ、
無意識に『悪の片棒を担いでしまった』ということにもなりかねません。
ある少年がダライ・ラマに抱擁を求めると、
ダライ・ラマは少年に対して自分の頬にキスするよう求め、
少年の唇にキスし、「私の舌を吸って」と発言した。
少年が舌を出して少し引っ込めると、ダライ・ラマも同じように引っ込め、
観衆からの喝采に笑い合った。
- 氣持ちが悪い
- 小児性愛
この動画が世界中に発信され、いろいろ物議を醸したことを受けて、
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は、謝罪する声明を
発表しました。
あなたはこの情報についてどう思いましたか?
無知や偏見で受け取ると非難へと結びつきますが、
調べてみると、違った見方をする人や新たな情報が判明します。
【偽情報である】
ダライ・ラマ14世は、
1959年にラサで中国に対する大規模なデモが発生した為、インドに亡命しました。
- 中国政府による締め付けや誹謗中傷が続けられており、今回もその一環でダライ・ラマ14世を「小児性愛者」に仕立て上げた。
M・Jさんも子供達に対する純粋な想いを利用され、「小児性愛者」に仕立て上げられた一人 - 頰と口の両方にキスをするのは、チベットでは伝統的な儀礼。
与える食べ物や菓子がなくなると舌を出して見せ、「もう何も残っていないから、私の舌を食べたらどうか」と冗談を言う。
※チベット直訳語は「舌を吸って」→「舌を食べろ」
ダライ・ラマ14世は、
1959年にラサで中国に対する大規模なデモが発生した為、
インドに亡命しました。
- 中国政府による締め付けや誹謗中傷が続けられており、
今回もその一環でダライ・ラマ14世を
「小児性愛者」に仕立て上げた。
M・Jさんも子供達に対する純粋な想いを利用され、
「小児性愛者」に仕立て上げられた一人 - 頰と口の両方にキスをするのは、チベットでは伝統的な儀礼
与える食べ物や菓子がなくなると舌を出して見せ、
「もう何も残っていないから、私の舌を食べたらどうか」
と冗談を言う。
※チベット直訳語は「舌を吸って」→「舌を食べろ」
この内容を見て、再度どう判断しますか?
普段の生活が、いろいろな選択の連続であるため、
きちんと「善悪」を判断しなければならないでしょう。
悪の仕業は巧妙ですから、目醒めなければ、
善悪を見極めることはなかなか困難なことかも
しれません。
あからさまに『悪行』であると分かることなら、すぐにでも自己防御する事も出来ますが、
簡単に見破ることが出来ないように仕組まれています。
善を仮面を被った悪とは、口先では良きこと申して、
影で悪しきことする人民らのこと申しておるのじゃぞ。
言わば、嘘つきの類じゃなぁ。可愛い可愛いと愛でながら、殺して喰う類の者
らじゃ。
夜の時代は、『だましの世』。
『霊感商法』や『オレオレ詐欺』などは、『口と腹が違う人』であり、
『だましの世』の典型的な犯罪であるとも言えるでしょう。
弱い所につけ込む手口は、悪の仕業そのもの。
私たちは長い間、真実を隠されまま意識を眠らされていました。
無知の状態を保つことは、悪にとっては支配しやすいわけですね。
- 大衆を無知の状態に保て
- 人々を互いに争い合わせて戦争の恐怖を
生み出せ - 分割して支配せよ
- 真に重要な知識は独占して秘匿(こっそり隠す)せよ 全25項目
悪の僕らは、己らに都合よく言いくるめることに長けておるから、
皆々騙されるのも無理無いなれど、靈も人も真知らぬ者が申す言葉には、
必ず違和感が顕れて来るものゆえに、よくよく感じ取りて下されよ。
親しみやすく好印象を装っている場合は、見抜くことはなかなか大変かもしれません。
しかも、言葉が巧みであれば、取り込まれてしまいます。
ふと、相手に対して疑問や違和感を感じたら、
「氣のせいだろう」と受け流さず、じっくり観察してみて下さい。
- 相手が醸し出しているもの(氣やオーラを感じ取れなくても何となくわかるかも)
- 眼(目の奥)
- じっくり話を聞いていると辻褄が合っていないなどの違和感
私の場合は、相手に対して拒否反応、話を聞いていると耳がむずむずする、その場からすぐにでも離れたい感覚が現れます。
いずれ自分に返って来る
因果の仕組み、いずれ己に返って来るから、何選ぶか、大切でありますぞ。
思いの選び方、言葉の選び方、行いの選び方、すべて日々問われておりますのじゃ。
思い込みや取り違い、恐ろしいぞ。善と思い込み、悪魔の僕と化しておりますぞ。
分らぬと申せ、罪同じであるのじゃ。問われる時、必ず来るのじゃから、見極めよ。
神人靈媒日記
『思い』『言葉』『行い』三つが調和して、はじめて真のエネルギーとなります。
目醒めていなければ、肉体が自分だと思い込んでいますので、
『体主霊従』(肉体に御魂が従っている)の状態です。
私たちの本質は、『御魂』であり『靈人』ですから、
『靈主体従』(御魂が主で身体は従っている)状態であるべきでしょう。
靈主体従とは、靈界と人間界とが表裏一体であり、
靈界が変われば人間界も変わるということ申しておりますのぞ。
靈界とは思考の世界ぞ。人間界とは顕在化される世界でありますのじゃ。
靈界と人間界との間に、言葉がありますぞ。音靈(おとだま)でありますぞ。
響きの中に思考と感情すべてが込められておりますのじゃ。
顕在化させる素でありますのじゃぞ。
言葉は、『音靈』『言霊』であり、現実を引き寄せる力があります。
特に『日本語』の『言霊』の力は強いと言われています。
- 思いと言葉が違う
- 言葉と行動が違う
- 思いと行動が違う
- 思いと言葉と行動がすべてバラバラ
相手も自分も騙したことになりますから、『悪因』を積むことになってしまいます。
『善い思い』 『善い言葉』 『善い行い』
『善因』を積むならば、善い行いをすればいいんだね!
習慣や癖・思い込みによっては、自分では『善きこと』と思っても、
相手にとっては「有難迷惑」ということもあります。
悪に操作された思考や感情が、いつの間にか、
その人の『習慣・思い込み・癖』となっている可能性があるかもしれません。
そのために、”身魂を磨き”善悪を見極める目を持つことが、
必要であるということですね。
人間には、『選択の自由』がありますが、
何を選択するかがとても大切であり、これから起こるであろう『大峠』を前に、
改めて自分の選択に間違いがないかが問われることになるでしょう。
まとめ:善の道・悪の道
- 目先の慾に囚われると正しき選択が出来ない
- 善悪を見極める
- 多数の意見に惑わされるな
- 思い・言葉・行いの選び方に氣を
つける - 選択の結果が『因果』となって自分に返って来る
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました!
『大日月地神示』
著者:神人
新泉社