我(が)から連想される言葉は、我が強い・自我・我慾・我を張る・我慢。
あまり良いイメージではありませんね。
『我を張る』というと、強引で自己中心的な感じがしますが、『頑張る』の語源でもあります。
『頑張る』になると、印象が変わり、一生懸命で良いイメージがしますね。
昨今では、心が疲弊している人や災害でご苦労されている人に対して、『頑張らなくていいんだよ』
という言葉を耳にします。
我(が) | 自分本位・自分勝手・ひとりよがり・利己・我が儘 |
エゴ | 利己主義・自己中心的な考え方 |
マインド | 思考・過去・頭の中のおしゃべり |
我 根底にあるのは、 エゴ『恐れ』
『我』は自分しか見えていない状態であるため、『我』で引き寄せたものには、必ず代償が伴い、
不調和が生じます。
『我』や『マインド』を自分自身だと思いこんでいる人が、ほとんどではないでしょうか?
- 我(エゴ)やマインドは、人間の体験をすることを決めた魂が、
この世界で活動するための道具 - 我は、使うもので、使われるものではない
- 我やマインドは、『ほんとうの私(真我)ではない』と気づき、
客観視すればよい
我の正体
我で動く人間の飢え
我で動く人間は、いつも飢えておる。天との靈線が切れておるから、
我で満たされても一時じゃ。
人間が欲しがる名誉、権威、お金、承認はすべて、飢えた我が求めるもの。
我に使われておる人間の姿じゃ。名誉、権威、お金にすがるな。神にすがれよ。
本来我というのは、使うもので、使われるものではないと申したであろう。
そなたの御魂の声が聞こえるように、鏡を磨いてくれよ。思い出してくれよ。
そして神とともに生きられるようになってくれよ。
よひとやむみな
『我』の根底にあるのは、『恐れ』
名誉→名誉慾、権威→支配慾、お金→金銭慾、承認→金銭慾ですべて『我慾』です。
『慾』とは、生きるために必要な『欲』が強化され執着になった状態の事。
このこと、知っておる人間はおるなれど、頭で知っておるだけの人間が
多いぞ。
理解はしておるが成ってはおらん。理解と成るでは違うんじゃ。
成ろうと決断できぬ者が、知るだけで済ませようとする。
『真を知る』 『真を理解する』 『行動 身魂磨き』
我は、今にいることが出来ない
我で生きておると、昨日のこと、先のこと、人のことばかり考えておる。
過去のことにとらわれると、後悔や怒りに侵されるぞ。
先のことにとらわれると、不安が起こり、欲しいものは得られんぞ。
靈的なことばかりにとらわれると、貧しくなるぞ。物慾、金慾、名誉慾にとらわれると、
心が病むぞ。
よひとやむみな
日常の些細な事ですが、
今晩何にしようかなぁ?そういえば、豚肉があったなぁ。
生姜焼きにするかっ!
先週、予約しておいたお店から
連絡来てないけど、どうなっているのかなぁ?
と、私たちの頭の中は常に、先のことや過去のことを、あれこれ考えています。
『我』というのは、『今ここ』にいられません。
神の試し
腹が立ったら、我が怒っておると思え。
恐れが出てきたら、我が恐れておると
思え。
傷つけられたら、我が傷ついて、悔しがっておると思え。
それはすべて、磨けておらんから起こる感情じゃ。
よひとやむみな
外からの出来事でどう反応しているかを、神が試されている。
「怒りも悔しい思いも、人間の自然な反応ではないのか?」
- 身魂を磨いていくと、反応しなくなる
- 見える世界が変わるため、負の感情で反応するような状況が少なくなる
外からの出来事でどう反応しているかを、神が試されている。
「怒りも悔しい思いも、人間の自然な反応ではないのか?」
- 身魂を磨いていくと、反応しなくなる
- 見える世界が変わるため、負の感情で反応するような状況が少なくなる
乗り越えるのじゃ。素直であれ。純粋無垢であれ。
我良し
我良しは悪しき心
我良しとは、我さえ良ければ、他は苦しんでおろうがどうでも良いとする悪しき心じゃ。
魔の僕(しもべ)と成り下がった人の
お姿じゃ。
ゆえに善の仮面被った悪の世であると申しておるのぞ。
大日月地神示
『我』は、自己中心なので、他のことは考え
ません。
また、神示では、神さまや仏さまに『我良し』で拝んでも救われないと説いています。
我の喜びばかりむさぼり拝むは、
邪の道ぞ。
家族や仲間は救うが、それ以外は苦しんで助け呼んでいようが、死んでおろうが、
見て見ぬ振りするようなお人は、邪心に取り憑かれておりますぞ。
我は不調和の原因
どれほど世界のためじゃ、人類のためじゃと申しても、その心が我ぞ。
世界のために良いことをしておるというその思いが、我よ、我正しの慢心じゃ。
我良しになれば、世界のために働いておらん人間や、自分のことしか考えておらん
人間に腹が立つ。
自分の方が優れておると判断する。その怒り、その慢心が、悪を生むぞ。
怒りや慢心は、我の力を強める。強くなった氣になり、無理をする。それもまた悪ぞ。
人生に功績を残したいという思いが慢心につながる。中行く道と申した
であろう。
我では一方しか見えん。
よひとやむみな
『我』は、自分勝手であり、ひとりよがりな
存在。
「自分は他の人よりも、優れている」と思うのは、『我』ですが、
「自分はなんてダメな人間なんだろう」と思うのも、『我』の部分です。
『我』は、すべてにおいて不調和を作ります。
真の喜び
我良し、喜び小さいなぁ。我喜びても、周り苦しんでおりたら、真喜び
ならんなぁ。
皆々腹空かしておるのに、一人だけ、腹満たして、真の喜びにはならんのでありますのじゃ。
そなた、我良しゆえぞ。他慈しむ心が足らんのぞ。
他の心思う優しさ足らんのじゃ。ゆえに嫌われ淋しくなりますのじゃ。
大日月地神示
「他の心思う優しさ足らんのじゃ」の「他」とは、人だけにあらず、
生き物や草木すべてのことを言っています。
自分さえ良ければの考えは、『弱肉強食』の世界を作ります。
他を尊び、他とともに喜べることが、『真の喜び』なのです。
マインドの正体
マインド
マインドは『頭』だ。『思考』だ。『過去』だ。
マインドは、過去収集した情報と過去取り入れた考えだ。
幼いころから、考えることが優秀である証だという魔法をかけられたのだ。
エゴやマインドはうまく使えば生きる原動力にもなる。
研ぎ澄まされて良質のマインドもあれば、機能不全の変質した、マインドも
ある。
よひとやむみな
『マインド』は、動きが止まると存在出来ないため、常に動いています。
私たちは、コントロール不能となったマインドに、常に振り回されてしまいます。
そして、『マインド』と『我』はお友達。
これを日々繰り返していると、コントロール不能になってしまいます。
- 気付きと真の学び
- 愛から生まれる
- 感動から生まれる
- 神とともにある
健康的なマインド
心でつぶやく言葉を変えることだ。重要なことは意味づけを変えることだ。
眠っている人間は、いつものように朝を迎え、いつものような日常を送る。
何かが刺激すれば、いつもの反応をするだけだ。
よひとやむみな
例えば、何か問題が起きた時、マインドは、「なんとかしなければならない」と
自分を追い込みます。
しかし、「なんとかなるだろう」と語尾を変えるだけで、氣持ちに余裕が出来、
余裕が出来たことにより、正確な判断のもとでの行動が可能となるでしょう。
【気付く】 【意識的に変える】
我やマインドは、私そのものではない
我やマインドは、人間の体験をすることを決めた魂が、この世界で活動するための道具だ。
道具であって、私そのもではない。私たちは純粋な意識。
我やマインドは、『ほんとうの私(真我)ではない』と気付くことが大切。
気付くには、内観して、我やマインドを客観視する事です!
まとめ:我・エゴ・マインド
我(が) | 自分本位・自分勝手・ひとりよがり・利己・我が儘 |
エゴ | 利己主義・自己中心的な考え方 |
マインド | 思考・過去・頭の中のおしゃべり |
我 根底にあるのは、 エゴ『恐れ』
- 我(エゴ)やマインドは、人間の体験をすることを決めた魂が、
この世界で活動するための道具 - 我は、使うもので、使われるものではない
- 我やマインドは、『ほんとうの私(真我)ではない』と気づき、客観視すれば
よい
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました!
『大日月地神示』
著者:神人 出版社:新泉社
【神人公式サイト】
『よひとやむみな』
著者:穂乃子
(株)ナチュラルスピリット