先日行われた父親の七回忌の法要。
私的に法事は無意味だと思っていますが、母親の意向で行うことになりました。
土曜日だったこともあり、我々の前後には
別の法事が入っていました。
参加人数が少なかったため、形式的で何を言っているのかわからない読経を聴きながらの法事は、
あっという間に終了。
30分足らずの法事の為に、寺の本堂に手向ける花代と寺に納める30000円を出費しました。
アルバイトの時給の平均が1000円前後の世で、寺の僧侶は1時間で10万円弱の報酬を得た
ことになります。
しかも非課税
(非課税に関しては、これまで度々問題視されてきて改善されないのは、政治と宗教は密接な関係
だからです。)
家の墓がある寺は、かなりの檀家を抱えていますが、世代交代してから『金銭的な要求はするが、
檀家に対する対応がお粗末』な状態です。
現代の日本における仏教は『葬式仏教』であり、葬式や法事を始めとした
儀式は、金儲けのためのビジネス。
しかも、無駄な葬祭供養が多過ぎるといえるでしょう。
「お布施」・「永代使用料」・「塔婆料」・「寄付」・「戒名」、法要の際には、「御車代」
「御膳料」等も含まなければなりません。
教えを乞うた者が、その教えに対して有難みを感じ自主的に行うものであり、
けっして強要
するものではない。
日本人は『先祖供養』として昔ながらの慣習を守っていますが、真面目な性格ゆえに、必要ないものにまでお金を払い、寺のビジネスに積極的に
協力していると言えるのではないでしょうか?
すべての寺がビジネス目的ではありません。
しかし、我々が『NO』と意志表示をしないかぎり、一部の寺や宗教法人だけを永久に繁栄させる
ことになるでしょう。
真の教えから隔たる日本の仏教
仏魔に支配された僧らに貢ぎ、金で極楽
買う者らで満ちておりますぞ。
恥ずかしき話じゃ。
お釈迦様も嘆いておりますわい。
真の教えがすり替えられたと申して
おりますぞ。
仏の道、解脱の道ではないぞ。
他のために己生かし切る道ぞ。
真、貫く清き喜びの道ぞ。
他、一切を貴ぶ生き方でありますぞ。
派手な袈裟下げ、装飾品に包まれ、心無い唄歌って金貰うでないぞ。
どこの宗教団体も皆々似たようなこと
致しておりますぞ。
魔の僕、多いのう。
ひとり残らず因縁相応に罪滅ぼしさせる
から覚悟なされよ。
己で己に苦しまされ改心させられる御仕組みでありますから、誰も恨むでないぞ。
己のツケは己で返しなされよ。
神人靈媒日記より引用
釈迦の教えのひとつで、生き物を殺してはいけない
(食べてはいけない)
とされる教え
日本の寺の料理は『精進料理』というイメージがありますが、1872(明治5)年に
明治政府が「肉食妻帯勝手たるべし」という太政官布告を
出しました。
僧侶は、肉食、結婚、髪を伸ばすことを個人の
自由にしてよいというものです。
死後、故人が語る通夜・葬式・法要などの儀式
- 墓には入りたくないということ。
(理由は陰気臭くて気持ち悪いから) - 墓には死んだ人が誰もいないということ。
- 通夜・葬式・初七日・読経等を一切しなかったが、死んで地獄に落ちるようなことは
全くなかったこと。 - やっぱり世の中の慣習は、必要ないことや嘘が多く可笑しいと思うこと。
- お経を聴いても全く意味が解らないし
自身も何も変わらない。
読む人の雑念があれこれと入ってきて
不快な気持ちになった。
おそらく読む人にもよると思うけれど、
お金がもったいないと思うとのこと。 - お経を読むと靈が癒され救われるという
のは明らかな嘘であるということ。
それは、読み手の心が邪心なく清らかでないと、良い気持ちには決してならない
のではないか?
ということ。
2018年7月 神人靈媒日記『母親(故人)との対話』より引用
これから偽りの教えはなくなっていく
そもそも、お墓には遺骨があるだけで故人は
いません。
そのため儀式は必要なく、それぞれが故人を
偲べばいいわけです。
仏教とは『一切衆生を救う』教え。
日本の宗教で、真に救われている人はどれだけ
いるでしょうか?
人間は心言行の善悪により、様々な因果(カルマ)を背負います。
本来、人生における真の道を説法しなければならない立場の僧侶が、偽りを言ったり行動したり
すれば、それ相当な因果を背負うことに
なるでしょう。
一般の人よりも代償が大きいかもしれません。
今後は新たな時代と共に、宗教界も変わると
予想されます。
医政教金と同様、有害で偽物は淘汰され、無害で正しいものだけが残るでしょう!
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました!
『大日月地神示』
著者:神人 出版社:新泉社
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『よひとやむみな』
著者:穂乃子
(株)ナチュラルスピリット